氷塊する牛乳プリン

世の中へのルサンチマンと、ごはんについて。

【逃げ恥感想文】家事の分担≒家事を「いっしょにやる」こと。

 

長いことブログをほったらかしていた。

その理由を述べると「ブログの存在を忘れていた」という身もふたもない一言に尽きる。

というわけで、私の集中力が切れる前に首題の件に入ろう。

 

逃げ恥最終回を見てざっくり思ったこと。

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(最近話題の恋ダンスと言えばコレやんな……。ちなみに恋ダンスの振付師はPerfume&BABYMETALの振付師と同じ人)

 

最終回の視聴率は20パーセントを超えたという人気ドラマ「逃げ恥」。話のあらすじは言うまでもない。

流行に疎い私は、第6話ぐらいから「逃げ恥」をチェックしていたのだが、「こりゃ~流行るわ」と完敗の表情で、毎週のOAを楽しみにしていた。

10話の終わり、平匡のプロポーズの下りについて、お金周りの理論としては物凄く納得した。もちろん、これまで対価を貰っていた家事を無償でやることを提案されたみくりが「それは好きの搾取だ」と怒った気持ちもよく分かる。

この時点で私は「きっと平匡は素直に好きって言えないからあんなプロポーズの仕方したんだな~。来週きっとちゃんと好きっていって欲しいな~」と思っていたが、その予想をちょっと違った最終回。

正直ストーリーを詰め込み過ぎて余計にもやもやした点が目立ったが、部分部分を見ると共感できる場所は多い。

 

みるくし的逃げ恥最終回の共感3ポイント

  1. 家事の対価=生活費。主婦に与えられるボーナスは雇用主(旦那)からの愛情という限りなく不透明な評価であること
  2. 夫婦関係は共同経営責任者であるという考え方
  3. 平匡が米を炊き忘れた時にみくりが取った対応

1.は素直にそうだと思う。どれだけ頑張っても「俺が住まわせてやってるんだから働け」と言われれば基本給(=生活費)に圧倒的に見合わない24時間労働を死ぬまで強いられる可能性は高い。主婦に365日休みはないとはよく言ったものだ。

ボーナスが愛情というのもやっぱりしっくりこない。そもそも論「愛情あっての」結婚なのではないか?と思ってしまう節もあるし。でも、現実その考え方に異論はない。愛情を示してくれることが報酬になりうるのかもしれない。ちょっと寂しいが。

 

次。1.に対する意見の切り替え氏として、2.の考え方。そういって貰えればうれしい。平匡が最初に言っていた様に、旦那が稼いできて妻が専業主婦で家事をこなすという関係性でもいい。1つの家を一緒にやりくりしていく意識は、前向きなものだと思う。だからこそ、ここはお互いに「なんでもいい」「あなたが決めて」「あなたの言うとおりにする」とか言っちゃダメで、「もっとこうして欲しい」「私はこうするから、こうしたらどうだろう」とか意見を提唱していかないとですね。

 

「そうだそうだ。平匡に頼んだお前が悪い。みくりが悪い、その通り!!」

3.ね。私が一番共感したのはこの下りだ。確実に。

仕事で遅くなるからと、みくりに依頼された米を炊く仕事をすっかり忘れていた平匡が、子ども並みの言いわけでそれを誤魔化そうとするのだが、あっさり惨敗。

それを見たみくりが「ご飯作りは私の仕事なのに、平匡さんに頼んだ私が悪かった。私の責任です。」と言い放つシーン。

これは本当共感する。私もしょっちゅうそんな事ばかり言っているから、TVを見ながら「そうだ、頼んだお前が悪いんだ!」と言ってしまった。

以前のブログにも書いたが、私は今同居人と一緒に住んでいて、その家事の大半は私はやっている。家賃・生活費こそ折半だが、外食の費用やら遊びに行った日の費用やらは向こうに持ってもらうことと、明らかに洗濯物やご飯は自分のためという側面が強いので、「私の仕事」という認識が強い。

そうは言っても生きていく程度に困らない家事しかやらないので、家の中は結構汚い方だと思う。しかし同居人の「生きていく程度に困らない」のレベルは私より大幅に下がる為、結果私がやる。特に掃除機掛けの例が分かり易い。私が土日で実家に帰るときなど、「掃除機かけてくれたらうれしいんだけど」と言っても、大体やっていない。

やっていないと分かると「そっか。土曜日家を出る前にかけていかなかった私が悪かったな」と全く同じようなことを呟いている自分がいる。だって床にゴミを落とすのは2人とも共通の事なのに、なんで私ばかりがと思うけど……気づかないのだから。

 

さらに、「分担と言っても平匡さんがやり忘れていたりしたことに対してカバーするのが自分ならそれは分担にはならない」と言ったみくりの気持ちも本当によくわかる。

結局分担したところで、「気付く」「気付かない」のセンサーが働いてしまえばどちらかが多く家事をやることになるのだ。

 

私も引っ越しをした当初は「家賃も折半だから家事も折半ね」とか言いあっていたが、現実問題それは無理だ。自分を擁護するつもりもないが、無理だ。無理なら別の所で補填する思考回路を持てば良くて、私の場合そこは「ざっくり金で解決」にシフトをした。

例えば向こうの誕生日に私が5000円しかかけていなくても、向こうがディナーとプレゼントで3万円ぐらい出してくれても「対価だ!」と思って堂々としているとかね。(勿論きちんとお礼は言うけど)

その辺りは個々人で気持ちのいい解釈ができる関係性で良いと思うのだが、でもね……。わかるよ。みくり、それは米焚き忘れたおまえが悪かった。(笑)

 

家事を「いっしょにやる」という、提案。

さて、ここで今日見かけた、私の本名と同じ名前のナコさんのツイートを引用させていただきたい。勝手に。(怒られたらごめんなさい)

 いや、ほんとそう思う。共感しかしない。「やらないよりマシ」にしかならない。例えば夕飯作った時に、お箸とか取り皿持って行ってもらうとかね。そういうやつ。ま~もちろんやってくれた方が楽だけどね……。全然。でもあくまで「手伝い」でしかないから、そこに主体性はないよな。と。

でも、家事を「手伝って」貰うことの魅力って、実質的負担を減らしてもらうこと以外にあると思っている。

それがまさに「共同経営責任者」であるという感覚に近い。あとはいっしょに家事をやる時間こそ「2人のコミュニケーションの時間」でもあるということ。

 

例えば。

土曜の夕方に私が洗濯物を畳もうとすると、同居人は一応手伝いにきてくれる。

それでいっしょに洗濯物取り込んだりハンガーから外したり、畳んだりするんだけど、結構この時間って楽しいんだよなあと思う。まず家事をやっているのが自分だけではないと思う時間でもあるし、手伝いというか「いっしょにやっている」という感覚がうれしい。分担になると各々の担当別という視点になるからついやっていないところを見ると責めたくなるだろう。

でも「いっしょにやれば」相手がやっていることはわかるし。会話もするし。「同じ家で生活をしている」という感覚が肌で分かると思う。「共同経営責任者」、うん、責任者まで言わなくても、1つの生活を「共同経営」している感覚は体感できるはずだ。

畳み終わった後はふたりですっきりするし、なかなかいいもんだと思っている。

 

時間の都合で全部が全部いっしょにやるというのは無理がある。しかし、何かひとつ「いっしょにやる」家事があったら、そんな機会を持てるなら、家事に纏わるいざこざが少しは低減する気がする。私みたいなパターンの方々は特に。楽しいよ。いっしょに洗濯物畳むの。堂々と人のパンツとか投げつけられるし。(笑)

 

これを言っちゃ身も蓋もないが「相手へのRESPECT」があるかどうか。

で、結局最後はね。このRESPECTがあるかどうかという身も蓋もない一言で済ませてしまうという横暴な結論で申し訳ない。

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(つまりR.E.S.P.E.C.T. なんですよね。まぁリスペクトと言えばこの曲っていうだけね。)

 

これが不透明な報酬の愛情と言われても、結局そういうことなんですよね。家事だとわかっていても、やったら「ありがとう」って言ってくれるし、言ってくれたらまぁいっかって思えるし。ご飯作った時も「ありがとう、おいしかった」って言ってくれたら嬉しいし。逆にお金を貰っていたとしても、こういう言葉がないと辛くなるだろうし。

でも普通に仕事ってそういうもんだと思う。お金貰ってても「当たり前」って思われてるだけだと辛いじゃない。自分にそれが出来ているかわからないけど、そういう原点をちょっと見返してもいいと思う。

 

というわけで。パートナーとの家事分担に悩む方々へ。

明日から多くの皆さん3連休で、土曜日はついにクリスマスイブだし。明日はお天気悪いみたいだけど、土曜日は晴れるって。

だから朝から、いっしょに洗濯物やって、いっしょに布団干して、いっしょに部屋の掃除して、いっしょにご飯の買い物行って、いっしょにパーティーの支度して、いっしょにチキン食べてケーキ食べて、いっしょに皿洗いまでして。そんな1日を過ごしてみてはいかがだろうか。

分担のいざこざはすぐに解決しないかもしれないけど、「いっしょにやる」ことで見えてくることも、あるかもしれないと思いたい。

 

というわけで皆様、一足お先に、メリークリスマス!

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