氷塊する牛乳プリン

世の中へのルサンチマンと、ごはんについて。

何者にもなれない我々の明日は。(<火遊び>pray.07「トルツメの蜃気楼」に寄せて)

<火遊び>pray.07「トルツメの蜃気楼」に寄せて

29歳・派遣社員・夢も特になく、ただ与えられた仕事に身を窶すだけの毎日・夢はかつてあったかもしれない・でも、こんな私に「夢見る事」もおこがましい・出来るなら若くして人生を終えたかった・死んでしまえば全部終わるから・もう全部終わりが近づく年齢・身体を潰して終わった20代前半・目標に向かって努力出来ない自分・せめて幸せな家庭をと願えどこんな私を好きになってくれる人なんて・ああ大学の同期がまた結婚した・ああ高校の友達は世界に羽ばたいている・入口は同じだった筈なのに、なんで私は・なんで私だけは・でも何もないんだもん・仕方ないよ、ほら、終わっちゃうよ、20代。もう、全部終わっちゃうんだ。

 

チェキ300枚を売る演出家の織成す、”あなたとわたしが[We]に近づくための物語”

私の大学時代からの知り合いに、1人の演出家がいる。彼の名は「松澤くれは」と言う。早稲田大学在学中から劇団を立ち上げ、いまは<火遊び>と言う劇団の主宰で、脚本演出を手掛けている。基本的に彼が描く世界の中心は「女性ならではの揺れ」で、微妙な心の動きを、優しく、時に激しく心の底をえぐる言葉で絶妙に描いている。雑に言えば「メンヘラほいほい」感満載の世界観を織成すのだが、それ以上に1つ1つの台詞にの内容も深いし、役者の演技もうまいので「メンヘラほいほい」だけで終わる事はない。また、「自身の生写真やチェキが売れる演出家」としての異名を持ち、今回の公演の物販でも500円のチェキが300枚は売れるという現象が起きているそうだ。

 

(ちなみに松澤氏の有名な仕事は、2013年初演・2015年に再演された、新垣里沙さん主演の舞台「舞台版 殺人鬼フジコの衝動」の脚本演出だ。もしかしたらこっちの上演については知っている人もいるかもしれない。)

知り合ったきっかけは大学時代に友達の友達の紹介という感じで彼の芝居を見に行った事。2008年頃の話で、私が携帯に凛として時雨のストラップをつけているのを見て「俺先日の代官山行った!時雨いいよね、時雨!」という話をしたことだろう。

大学卒業後も私は彼の芝居が好きだったので公演をやる度足を運び続けていたが、ここ1年位は行ったり行かなかったりが続いた。しかし「今回の公演を最後に1年間<火遊び>としての公演はしないから」というお知らせが届いたので、仕方なく仕事帰りに芝居を見に行った。

 

~「もう経験することは終わった」 

何者にもなれないアイドルたちの、これから~

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pray.07「トルツメの蜃気楼」 | <火遊び> 

 

上演は今日11月13日のソワレまでなので、念の為ネタバレは避けるが、「主人公の気持ちがわかる」話だった。

29歳派遣社員ユリは、会社の上司水島に突如「アイドルにならない?」と声を掛けられる。地味で自分にやりたい事もなく、ただ毎日校閲の仕事に身をやつすだけのユリに、微かとも呼べぬ希望が降り注ぐも、ユリとユリと共にデビューを目指す事になったアイドル達は、「何者にもなれない」まま、そんな夢をあっさりと打ち砕かれる。

 

夢を見ること、夢を叶える為に努力すること、その美しさを描くストーリーはいくらでもあるが、「夢を見ることを諦めてもなお、私達の人生は続く」ことに焦点を当てた話はあまり聞いたことがない。小説家になりたい・有名商社に行って世界を股に掛けたい・歌手になりたい・音楽プロデューサーになりたい・デザイナーになりたい、何でもいいのだが、夢を叶えた人より、どこかのタイミングで夢に諦めをつけて生きていく人の方が圧倒的に多い。

私も夢を見たけど夢の為の努力は出来なかった。でもその夢がなんだったのか、自分でも把握していない。自分が出来ると思っていた事に対し、身体が動かなくなって周りからも遅れを取った。30歳になる前ならいくらでも巻き返せるよと言われても、実際蓋を開けてみたら自分にやりたい事も、やってみたい事もなかったし、努力も続かない。身体も持たない。簡単に10代の頃死ねなかったし、今でも30になるまでにふっと死ねればいいなぁと思っている。でもそんなことはないだろうし、どうしてもこの先何とか生きていかないといけない。その先どうやって生きていくか、なんて答えを誰も教えてくれない。教えてくれないけど、生きて行かなきゃいけない。私とユリの境遇は近く、「嗚呼、そうだよね」と思う所は多々あった。

 

「29歳女性」という焦りに駆られても。

≪就職するなら30まで、結婚するなら30まで≫

というように、30歳というのはひとつの区切りだと言われている。特に女性の場合言わずもがなだ。後で松澤氏本人にも話を聞いたら「そうね~俺の1つ後輩の女の子の話だね~」と言われたので、まさに私の為の話だったなぁと思う。

私は今年29歳になるが、就職も結婚もまだ出来ていない。この先どうやって生きて行けばいいのか迷う。結婚もキャリアもどちらも手にしている友達もいるし、子供を授かっている友達も増えてきた。結婚はまだでも仕事を十分に楽しんでいる友達も多く、夢半ばで諦め、しぶしぶと向かない会社で向かない事務職をしている私には何れも高根の花に見える。「いったい自分は『何者』になれるのか」と思い続けているが、一方で『何者』の定義を知るものがいったいどれぐらいの数いるのだろうかとも思う。それでも私もまだ何かを諦めきれていない。努力もしないけど、まだ何かを諦めきれないから、こうしてブログを書いているのだろう。

>もう経験することは終わった

『何者か』を目指しての経験をする事は、もう終わった。もう無駄かもしれない。ここから先見える未来はあまり明るくない。20代と言うだけで可愛がられる事もなくなる。自分の価値はどんどん下がっていく。それでも私達は多かれ少なかれ何らかの経験は積んでいく。経験に終わりなどない、それが良い経験か辛い経験か知らないけど、その経験を積んで「私は」「私を」形成していく。そうやって、私達は少しずつ生きていく。それでも私達は、少しずつ、生きていかなきゃいけない。

10代で死にたかったとか、20代でもういいよねとか、そういう望みがあっても、でも大概の私達は「29歳過ぎても、生きていかなきゃならない」。

もっと言うと「死んじゃだめなんだ」と言うメッセージが、常に彼の戯曲には含まれていると思う。見に来ていただいたお客様、特に10代20代の若い子たちに向けては「あなたたち1人1人にはちゃんと価値があるから。『何者にもならなくていいから、ただ毎日を生きて。そして誰かと、生きて』」と言うことを言いたいのだろうなぁと思う。

 

それでもなお、生きていく「ユリ」へ

8年ぐらい彼の芝居を見ていると、自分の心情の変化や自分の境遇もだんだん変わってくるし、終演後しゃべる内容も変わってくる。そう言う所で自分の変化を確かめる事も出来る。アンケートには「これこそ世間の概念や夢の押しつけになるかもしれないけれど、ユリちゃんには結婚して素敵な家庭を持って欲しいです」と言うようなことを書いたし、「私もはよう結婚したいっすよ~~~~」と言って帰ってきた。それが全てとも言えない時代だけど、それも1つまた、高校時代からの思いを引きずり続けるユリちゃんにとって 「新たな経験の始まり」 になるのではないかと思った。

 

 

それでも、生きていかなきゃだもんなぁ、出来れば30前に死にたいけど。

 

 

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